ぼくの好きな先生(ふたりめ)
変わらずぼくって柄じゃないです。わかってます。
ぼくの好きな先生
初めてその先生の授業を受けたとき、
ぼくは思わず眉を顰めた。
誰もわかってるように思えない。
質問をして返ってきた答えもわからない。
100点満点のテストの平均点は20点なんて良くある話。
なんなんだ。この人。
授業をしてないとかではなく、クセのある字ではあったが、板書もしっかり書いていた。
解説のプリントもしっかり書いてくれていたけれど、やっぱり何を言いたいのかがさっぱりわからなかった。
ただ、ぼくはこの先生の授業は面白くて大好きだった。
教科書の言い回しを全く自分の世界の言葉に置き換えてしまったり、ものすごい擬音で板書をしたり、破茶滅茶な授業を受けて、こんなのもアリなんだと最初は思っていた。
しかし、回を重ねるにつれて、先生には強い信念があること、そしてそれは今の学校のスタイルにはあまり合っていないような気がすることをぼくは感じていた。
つまり、大学受験戦争に勝つのではなく、その先を見据えたことを授業でぼくたちに伝えていて、その内容は実は先生本人もまだ勉強の途中だったのだと思う。もちろん勉強の途中というのは初めて勉強しているということではなく、何周も教えてきた先生のような立場の人が考える境地にある、一種の研究のようなものだと捉えている。
先生は初めてぼくのクラスを担当した年の年度末に、学校を辞めた。最後の授業でも、辞めた後のことは何も教えてくれなかった。
当時のぼくは受験戦争が不安だったこともあり、最後の荷物整理を職員室でしていた先生のところへ行って、頼むから連絡先を教えてほしいとお願いした。
先生は、どうしても困ったら連絡してきても良いよ、と言いながら、ぼくにアドレスを書いた紙をくれた。
受験戦争前の最後の夏、やっぱりぼくは先生の教科だけ、わからなくなってしまった。点数とかではなく、わかった気になっているだけの自分が嫌で、なんとかして解決の糸口を見つけたいと思って、先生に連絡をした。学校でも穏やかで面白い人だった先生は、優しく寄り添うような返事をしてくれると、どこかで思っていたのかもしれない。
数日後、先生から返事が来た。
別の人が書いたのかと思うような内容だった。
その大学に行きたいのですか?
推薦枠は高校の合格者数を増やすことが主目的です。
あなたの第一志望は別の大学ではなかったのですか?
私の経験ですが、行きたいところにチャレンジすべきです。残念ながら私を含めて、あなたのいる学校には、あなたの第一志望へ現役で合格させられる教師は1人もいません。その大学の問題を解答できる教師が誰もいないからです。思考力を有する問題は質問するだけ無駄です。
(中略)
結論から言うと、予備校に行かないと無理です。残りの日数からすると浪人する可能性が高いですが、自分の信念を貫くならそれも良いのではないですか。自分の後悔のないように、決めてください。
その後には、予備校の先生たちの紹介がいくつか載っていた。ぼくはそのうち1人の先生の授業を、受けることにした。
幸いにして、ぼくは合格通知を手にすることができた。学校より先に、先生に連絡をすると、すぐに連絡が来た。
おめでとう。スタートラインに立てたのですね。大変だと思いますが、無駄なく過ごしてください。
やっぱり先生は先生だった。それがたまらなかった。受験お疲れ様や合格おめでとうでもなく、学生生活楽しめでもない。先生の想いが端的に伝わってくるような言葉だった。
何年も経って、卒論を提出したことを先生に知らせると、数週間後に連絡が来た。そこには論文を読んだ話や、実は退職後に大学へ通い直していた話は、まだ認知症になっていないからこんなことを勉強しているといったことが、1人の仲間に書くように綴られていた。ちょっと先生らしくないなと思いつつも楽しそうで、嬉しかった。その返事は最後、こんな一文で締めくくられていた。
私の好きな言葉があります。
「一日生きることは一歩前進することでありたい。」自分もそうしたいと思います。
でも頑張るばかりが人生ではないので、楽しく過ごして下さい。
楽しむことは何より大事です。最近は特にそう思います。楽しくなければ何もできません。
私もいろいろなことを楽しんでやっています。
若くても無理をすればどこかに負荷がかかります。
お体を大切にして、今後の長い人生を歩んで下さい。
ぼくの好きな先生
信念を貫きつつも、ちょっと人間味のある、先生らしくない先生。
ぼくは今日も楽しみつつ、健康で前進しようと生きています。
ぼくの好きなセンパイ(ひとりめ)
ぼくって書いてて1番違和感を覚えてるのは自分です。
ぼくの好きなセンパイ
学生時代、学園祭を運営する委員会があって、入学してすぐの歓迎会みたいなのに参加して、そのままそこに入った。いろんな部署があったけど、当時何をしたかったのかもよくわからなかったぼくは、なんとなくで希望届に書いた広報系の部署に配置された。
絵を描くのが好きとか、SNSの中の人がやりたいとかではなくて、ただ単に、そこにいる人たちが面白くて好きだったから、そこにした。たまには良いよねこんな選び方もって思ったけど、多分これまでの人生でその選び方をしている場合の方が多い。
センパイはその部署の長だった。
その部署は代々ぶっ飛んでる人が多くて、例えば家飲みで酔っ払うと壁にポイントカードを接着剤で貼り付ける人や、家主のクレカをオーブントースターで焼き始める人、全く違う人の靴を履いて買い出しに行っちゃう人なんかもいた。センパイはその様子を「やってるねぇ〜」って言いながら、焼酎片手にその様子を眺めていた。
長と言いながらそれっぽい強いことは何も言わず、のんびりと、しかしながら自分の考えを強く持っていた人だった。端正な顔立ちで艶のある黒の長髪。ちょっとボケた赤色のネイルをした美人さん。酔っ払うと後輩にすぐちょっかいを出してくる面白い人。
学園祭の委員会に入る人は当日、指定された色のジャンパーを着て業務を行い、終わった後はこのジャンパーに寄せ書きをするのが伝統というか慣例だった。
2年目にはいろいろな人に描いてもらったぼくも、1年目は数人の同期と先輩達に描いてもらうだけだった。だって2年目もやると思ってなかったし。その年で終わるしいいやって思ってたので。
描いてもらった寄せ書きに目を通して、最後にセンパイからの寄せ書きを読んだ。業務お疲れ様〜とゆるく始まり、1年間の感謝と労いの言葉のあとに、センパイはこんなことを書いていた。
キミはなんでも1人で抱えこんでやろうとするから、びっくりしたし、すごいと思った。でも、もう少し周りを頼っても良いってことは覚えておいた方がいいよ。周りはキミのことを助けてくれるから。それでもキミは大概のことを1人でなんとかしてしまうのだろうけれど。
1年間という限られた時間の中で、ここまで自分を言い当てられたのは初めてだった。そして今、この一文の後ろに勝手に自分で押し込んだ『それでもなんとかならないことはある。そんなとき、キミはどうするんだい?』という文章に答えられない自分が、まだ、いる。
センパイが今、何をしているかはわからない。
恐らく再会したら、ぼくの近況を聞いて、キミは相変わらずだね〜、そこが長所でもあり、成長しなきゃいけないところなんだよ〜と、刺さる言葉を柔らかい声で言ってくれるんじゃないかなと思っている。多分それは、自分がまだまだ足りないと思っているから思い出せることでもあるような気がしている。
ぼくの好きな先生(ひとりめ)
ボクって柄じゃないけどね。
ぼくの好きな先生。
機嫌が良いときは自分の好きなことをやってるとき。
機嫌がちょっと良くないときは苦手な事務作業に終われているとき。
宿題を提出するとすぐさまスキャンを取られて、
学生全員にそれぞれの考え方を発表させる。
みんなには公開処刑って呼ばれてたけど、
ぼくはそれが好きだった。
先生は間違えてても、わからなくて空白でも、よくわかんないけどこれに似てますねって書いても、怒らなかったし、むしろ楽しそうだった。その人が何を考えて、どうやって解答を描いてくるのかを楽しんでいたのかもしれない。勿論それは娯楽ではなく、学術的観点からの考察、味わいだったのだと思う。たぶん。
ただ、誰かのを写したり、過去問の模範解答を写してくる人がいると、ちょっと違った。学生がどこまでわかっているのか、柔らかく、しかし鋭く突くような聞き方で聞いていて、それでいながら学生がヤバくなる前に質問をやめて次の人に交代してもらう、そんな感じだった。
ぼくはその写してきちゃった人の解答を見るのも好きだった。
この人は改行のインデントまでしっかり写すんだなとか、ここまでは同じだけど数式だけ変えたんだなとか、文章が尻すぼみになってて罪悪感に負けたのかなって思ったり、慌てて書いたからミミズみたいな字だったり、とにかく他の学生のその時の生き方が出ていて、面白いなって思って見ていた。
最近は周りの人の手書きの文字を見る機会、ましてや宿題のような長文を見る機会がめっきり減ってしまった。この人がこんな文字を書くんだ〜ってなるのは割と好き。
先生は一度だけ、学生のぼくを怒ったことがある。
出来が悪かったので叱られたことは何度もある。でも怒られたのは一度だけ。
ちょうど寒さが厳しくなる頃、そろそろ本腰を入れないと間に合わないというときに、ぼくは難しいところでつまずき続けてロクに進んでいなかったのだ。
「今まで何をしていたんだ!」
初めて怒られたと当時は思った。
ただ、今になって振り返ると、学生ではなく、人としてでもなく、それ以外の社会に属するものとして、叱られたのだと思う。つまり
「いつまで成果を出さないつもりなのか」
進んでいたことに間違いはなかった、が、側から見れば何も進んでいないも同然のことだったと思う。そのうち成果を求められるようになるのだから、出せない限りは何にもならないってことだったんだと思う。
先生は今でも時々時間を作ってぼくと会ってくれる。ほんとはお時間を割いてくださるって書きたいけど。小さくても良いので必ずひとつ以上の成果を持って、会いに行く。その度に面白い話を聞いたり、さまざまな考え方を教えていただくことも多い。そしてやっぱり、その時間は格別で、楽しい。
先生とその仲間の方々と飲み会をしたことがある。仲間たちは半分くらい海外の人だった。それでも先生は英語と日本語を混ぜながら、自分の好きな分野のことを、ずっとずっと楽しそうに話していた。語っていた。飲み放題の時間が終わり、席の時間が来て、店から追い出されるまで、ずっとその話をしていた。
飲み会は、愚痴や噂話、色恋話に悪口が出がちな話をよく耳にするが、先生との飲み会はこれとは縁遠く、ずっと専門の話で時間が溶けていく。
先生は好きなこと、興味のあることにまっすぐな人だと思う。そのまっすぐさを、いつまでも忘れることなく追い続ける姿を、追いつかずとも、追いかけ続けたいと思う。